2026年03月01日「ソフィア」

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ソフィア

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説教
小堀 昇 牧師
聖書
ヤコブの手紙 3章13節~18節

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上からの知恵

13あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。 14しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。 15そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。 16ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。 17上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。 18義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヤコブの手紙 3章13節~18節

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箴言1:7 ヤコブ3:13-18

「ソフィア」

I. 下からの知恵の限界
ヤコブの手紙のテーマは、信仰の見える化です。信仰の証しとしての行いです。
ヤコブの手紙によれば、信仰は行いに表れて参ります。しかし、私達はいつも行いが良い訳ではありません。人は必ず失敗を犯します。この三章は、「私達は皆多くの点で過ちを犯す」と、過ちについて語り始めます。

 この3章でヤコブは、その失敗を具体的に語ります。それは特に、私達の舌に、私達の口に、集中しているのです。
 最初は言葉の失敗です。次には、同じ舌から賛美と呪いが同時に出てくる現実を語ります。人間は、神のかたちに創造されています。しかし、堕落をしてしまった、人間の存在の悲しみを語るのです。

 それでも、悲しみの存在だけで終わらないのが、人間の人間たる所以です。人間だけが被造物の中で、神のかたちに創造されているので、上からの知恵によって、人生を回復していくことができるのです。しかし、残念ながら、全ての人が正しく知恵を用いている訳ではないのです。

折角神から与えられた知恵なのですが、罪の故に、同じ舌から、賛美と呪いが出てくるように、知恵も正しく用いていく人もいれば、間違った用い方をする人もいます。今日の御言葉では、ver13とver17-18で、知恵の正しい用い方が語られているのです。「あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい」(ver13)。

 「上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」(ver17-18)。

 そして、この二つの上から出た、知恵に挟まれるように、「しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです」(ver14-16)。
 
聖書は、下から出た知恵を、悪魔から出たというような、非常に過激な言葉で、誤った形で、用いられるこの地上的な知恵について語ります。

 上からの知恵は、神によって、与えられます。上からの知恵は、人間が作りだしたものではなく、神が与えて下さったものです。しかし、この対極にあるのが、地上的な知恵です。

「上と下」、「神と悪魔」、「霊と肉」このような言葉で、「上からの知恵」と「地上の知恵」の対比が語られていますが、まずは、この「地上の知恵」の特質を見てみましょう。いくつかの言葉から、その特質を知ることができます。

それは、「内心ねたみ深く利己的であること。自慢したりすること。真理に逆らってうそをつい 
たりすること。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。」(ver14-16)。

これらが、この地上の知恵の特質だと聖書は語ります。しかもそれは、悪魔から出たものであるとまで聖書は語るのです。

ニュートンが中学時代の話です。彼は、水車を利用した、粉ひきの機械を発明して、生徒たちに、自分を拝ませてやろうとしたのです。実に高慢です。

実験は見事に成功して、小川の水が、水車を回して、歯車と歯車がうまく噛みあって、臼の中では、完全に粉が引けたのです。ニュートンは鼻高々でした。

しかし、日頃から、彼のことをよく思っていない少年が、悔しさもあって、「では聞くが、なぜ、この水車の力がこんな風に粉を引くのか、説明してくれ給えと」と聞いたのです。

そこでニュートンは答えに詰まってしまったのです。「ただ造るだけでならば、君は大工と一緒じゃないか。」普段から、ニュートンのことをよく思っていない、少年たちが、すぐにそうだそうだと囃し立てるのです。
「ただ造ると言ったって、僕はこれを誰からも教えてもらわずに作ったんだぞ。」ニュートンは、顔を真っ赤にして、対抗する訳ですが、皆認めないのです。
「説明できないのか。それじゃ君は、器用だと言うだけだなと」と言うなり、腕っぷしの強そうな生徒が彼を蹴り倒してしまったのです。ニュートンは、その場に倒れて、彼は暫く起き上がることができませんでした。

しかし、それ以降ニュートンは変わりました。
理論と実際が互いに裏付けあってこそ、新しい知恵が生まれ、真の知恵となる事が分かったのです。

「もし腹を蹴られていなかったら、私はただの器用な少年で終わってしまったことになっただろうと」ニュートンは、振り返っています。そして、この体験があったからこそ、リンゴが木から落ちたのを見て、万有引力の法則を導き出したのでした。

「内心ねたみ深く利己的であること。自慢したりすること。真理に逆らってうそをついたりすること。」(ver14)。

確かにニュートンは優れた科学者でしたが、初期の彼は、まさに自分の知恵を誇るようなものでしかなかったのです。

テレビを見ていたり、You-Tubeをみていると、頭の良さそうな人が沢山出てきます。彼らは、本当に、相手を論破する、ディベートの能力に長

けており、白を黒とも言うことができますし、黒を白とも言うことができるのです。つまり、どうにでも論理を組み立てることができて、自分の持っていきたい結論に、人々を導いていくことができるのです。

しかし、そのような、知恵が、本当の意味で、この世界を建て上げていくことができるのでしょうか。そのような人々の知恵が、本当の意味で、世界を平和へと導いているのでしょうか。寧ろ現在の世界を見ると、「混乱」(ver16)をもたらしてしまっているのではないでしょうか。

あのダイナマイトを発明したノーベルが、これの用い方を間違ったら大変だと、世界の各分野で平和と人類の進歩に貢献する、ノーベル賞を作ったことは有名です。

もし、その知恵と呼ばれているところに、混乱があるなら、それは、下からの知恵、人間の知恵にすぎないと聖書は語ります。あの原子爆弾の発明などは、その混乱の最たるものでしょう。あの爆弾の発明は、確かに人間の英知の結集でありましょう。

しかし、本当に一歩間違ったら、世界は破滅してしまうのです。しかも、そのバランスで、世界の平和が保たれている。実に愚かな現実。人間の下から出た知恵の限界です。
本当に悲しい事ですが、プロテスタント教会の中でも、ある力のある信徒が、上からの知恵ではありません。

聖書の知恵ではなくて、ver14-16にあるような、下からの知恵によって、教会を牛耳り、混乱をもたらしてしまっていることも又事実なのです。もしそこに混乱があるならば、それは下からの知恵でしかないのです。

私達は、信仰生活が長くなれば、なるほどに、今迄の経験値で歩めます。しかし、それが問題なのです。正に自分の知恵で歩んでしまうのです。ですから、大切なことは、上からの知恵によって、歩むことなのです。御言葉を通して、神から知恵を頂いてく。そのような歩みをさせて頂きたいと思います。
II.ソフィア
 最後に、上からの地を見て終わりたいと思います。「上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」(ver17-18)。

「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません」(ヤコブ1:17)。上からの地の特徴は、神から来るのです。天的であり、霊的であり、神的です。クリスチャンは、あらゆる事柄の為に天を見上げます。クリスチャンの国籍は天にあります(フィリピ3:20)。クリスチャンの宝も天にあります(マタイ6:19)。

「それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」(Iコリント1:19)。イエスこそが私達の知恵なのです。イエスを信じるときに、私たちは、この知恵を頂くのです。そしてヤコブは上からの知恵の、特徴を八つ述べているのです。

それは、「何よりもまず、純真で」、と呼ばれていますから、これが最も大切な知恵の特徴であることが分かります。更に、「温和で」、「優しく」、「従順なもの」です。「憐れみ」と「良い実に満ちて」。「偏見はなく」、「偽善的でもありません。」(ver17)。

山上の説教の、幸福の使信が、神から祝福される幸いな人を八つの側面から語っているように、ガラテヤの信徒への手紙の5章で、「御霊の実」、「聖霊の実」が9つ挙げられているように、ここでは、神が与えて下さる、上からの知恵の特徴が、8つ描かれているのです。

そして、私達が、この8項目を心に留めて、日々に小さな祈りの積み重ねを重ねていくならば、その答えが、「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」(ver18)。

私たちは、自分がまるで何でもできる人であるかのように、人を裁いても、義については、「人の怒りは神の義を実現しないからです」(ヤコブ1:20)。それで神の義が実現できる訳ではありません。
 寧ろ逆です。寧ろ、「純真」で、「温和で」、「優しく」、「従順」、「憐れみ」と「良い実に満ちて」。「偏見はなく」、「偽善的でもない。」(ver17)。

この様な生き方をしていくときに、「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」(ver18)。種を蒔いたって、直ぐにその実が結ばれてくる訳ではありません。しかし、小さな種を蒔き続けることはできるのです。

しかし、蒔き続ければ、いつかは必ず実を結ぶのです。そして、実を結べば、それは次の世代へと繋がっていくのです。

私たちは、残念ながらこの地上では、完全になることはできません。私などは、失敗だらけです。ことばで失敗し、行いで失敗します。人間とはその存在自体に、どんな人であっても、矛盾を抱えています。

知恵だって当たり前ですけれども、この地上に完全な知恵など存在しません。ですから、大切なことは、今の自分の弱さを認めることです。足りなさを認めることです。

そして、ソフィア=上からの知恵を頂くのです。そして、「純真」で、「温和で」、「優しく」、「従順」、「憐れみ」と「良い実に満ちて」。「偏見はなく」、「偽善的でもない。」(ver17)。

この様な生き方をしていくならば、そうするならば、やがて必ず、わたしたちの人生も、実が結び始め、次の世代へと、信仰を受け継がせていくことができるのです。
ソフィア=上からの知恵を頂いて歩んで行こうではありませんか。

ある貧しい少年が小舟の渡しをしながら、生活をしていました。ある夜一人の老人を乗せたのです。
 老人は、その少年に聞きました。「君はこの世
界の成り立ちについて知っているかね?」。「少年はイイエ知りません。」と答えました。すると老人は言いました。「君は人生の25%を無駄にしているな・・・」

次に、老人がまた少年に聞きました。「君はこの世界の歴史について、何か知っているかね。」、「少年はイイエ知りません。」また答えました。すると老人は言いました。「君は人生の50%を無駄にしているな・・・」

さらに老人は、パイプを燻らせ、うっとりと、星空を眺めながら言いました。「君はこの星空について何か知っているかね?」少年はイイエ知りません。」また答えました。すると老人は言いました。「君は人生の75%を無駄にしているな・・・」

こう言ったときに、上流の方からダムの放流を知らせる。けたたましいサイレンが聞こえて来たのです。
 
件のおじいさんに少年が聞きました。「おじいさん泳げますか?」、老人は答えました。「いや泳げない・・・・」、こう言ったときに、少年はおじいさんに言ったそうです。「おじいさんあなたは、人生を無駄にしていますね。」言ったそうです。

「上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」(ver17-18)。

 どうか上からの地に満たされて歩んで参りたいと思います。

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