2026年03月08日「どこまでも主と共に」

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どこまでも主と共に

日付
説教
小堀 昇 牧師
聖書
ヤコブの手紙 4章1節~6節

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聖句のアイコン聖書の言葉

神に服従しなさい

1何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。 2あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、 3願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。 4神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。 5それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、 6もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。
「神は、高慢な者を敵とし、
謙遜な者には恵みをお与えになる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヤコブの手紙 4章1節~6節

原稿のアイコンメッセージ

詩編30:5-6 ヤコブ4:1-6

「どこまでも主と共に」

I.どこまでも主と共に
 ヤコブの手紙は、信仰の見える化について語ります。信仰を証しするための良い行いです。
 しかし、現実には、私たちは、そんなに上手く振舞える訳ではありません。時には失敗を犯す。イイエ時にではありません。私達が失敗を犯してしまうことは、しばしばです。
 
「わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです」(ver2)。とヤコブは赤裸々に語ります。ことばの失敗について語り、同じ口からその舌から、神への賛美と人への呪いが出て来ると語るのです。
 
神によって創造されながらも堕落をしてしまった、土の器としての人間の悲しさ、弱さを語ります。更には、下からの知恵と、ソフィア、上からの知恵について語り、クリスチャンが求めるべき、真の知恵について語ってきたのです。

 そして、今日から4章に入ります。クリスチャンであったとしても、過ちを犯す現実を語っていることには変わりありませんが、この4章は、」主にお互いの間にある争いについて語り、その理由、即ち原因を考えるのです。
 
そして、最後は神の御心に自分を併せていくことへの大切さについて語っていくのです。このヤコブの手紙第四章を、3回に渡って読んで参りたいと思います。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか」(ver1)。

 「戦い」、「争い」実に目を背けたくなるよう言葉ですが、「戦い」は全面的、長期的な出来事、「争い」は、局地的いさかいを表しているのです。
例えば、遺産戦争とは決して言いません。遺産争いなのです。
 
何れにしても、私達の内には、様々な形の争いがあるのです。それを聖書は、「あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか」(ver1)。このように言うのです。社会的、政治的な戦いの原因は種々にあると思います。
 
そこには当然、お互いに理解する事の出来ない、人種や民族の違いがあるでしょう。貧富の差による戦いもあると思います。イデオロギーによる対立もあると思います。
 
自国の利益のみのを追求し、拡大して行きたいと言いう、今のアメリカ、中国、ロシアのような、20世紀初頭のような、覇権主義が原因であることもあると思います。
 
 ここで聖書は、三種類の戦いを語ります。それは、第一に、ver1に代表される、人と人との戦いです。この世界の歴史は戦いの歴史だと言った学者がいましたが、この世界は確かに戦いに溢れています。

 長い歴史の中で、世界の何処の戦いがなかった時代は、僅か30年しかないと言った学者がいました。
 
聖書もカインとアベルから始まり、アブラハムとロト(創世記13章)、アブサロムと父ダビデ(サムエル記下13-18章)、弟子達の天国での出世争
い、イエスとファリサイ人、律法学者、ヤコブはこの手紙の中で、様々な階級闘争(2:1-9)、教会内部の抗争(1:19-20 3:13-18)。などを記しています。

第二が自分の心の中の戦いです。

 「あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」(ver2-3)。実はこれこそが、様々な戦いの根本的な問題となるのです。

様々な外見的な野心、外側に現れてくる野心の原因は、心の中にあるのだと、ヤコブは語ります。それは突き詰めると、私達の心の中にある欲望なのです。先ず間違いなく、欲望は、心の中から起こってくるのです。
 
そしてそれが、まるでマグマのように、徐々に外側に現れて、まるで火山のように、飛び出してしまうのです。キケロは、「欲望から憎しみと分裂と不一致と騒乱がおこる」のだと、言ったのでした。

 昔、中国のある村にたいそう厄介者でしかし、大変力持ちの男がおりました。村長がやってきて、彼に三つのものを退治してほしいというのです。 一つ目が虎です。そんなの簡単だ。彼は虎と格闘して、虎をやっつけてしまいました。
 
意気揚々と帰ってきたこの男は、次は何だと村長に聴きます。次は、あの大きな蛇だ。村長がいうと、彼はこの蛇とも格闘してやっつけてしまいました。
 
こうなると、もう怖い物などありません。この男は、さあ三番目は何だ。と村長に問うのです。今の俺におやっつけることができない者などない、さあ言ってみろと。すると村長が言ったそうです。三番目か、それはお前じゃ・・・

そう言われた男の人は、俺自身かというと、うん~と流石に考え込んでしまったそうです。獅子身中の虫とは、内部からの災いという意味ですが、ある意味厄介なものは、自分の心の中にある戦いなのです。

 そして第三番目。それは、神に対する戦いです。「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです」(ver4)。
 
私達は、この世界で、神にもつかないけれども、この世にも、つくことはしませんという絶対中立の様な生き方はできないのです。聖書は神に付かないという事は、神に敵対していることになるのだと語るのです。

 そして、この三種類の戦い、それは突き詰めると、私達の神との戦いに帰結していくのです。私達は、アダムとエバの堕落以来、人間が神に背を向けてしまって以来、結局神を敵として歩んでいるのです。

 それによって、はじめての人と人の戦いである、カインとアベルの戦い、その殺人が起こってしまったのです。何故カインがアベルを殺してしまったのか。それはカインのアベルに対する妬みが原因です。ではその妬みは、何処から来たのか。

 それは、アダムとエバの堕落以来、人間が神を否定して自己中心的に生きているからだと聖書は語るのです。

そしてその妬みが、人の心の中から、外に噴き出すようになってしまったのです。結局は、
私達が神に背を向けて生きていくようになった、神との戦い、それが、私達の周りにある、様々な戦いや争いの原因なのです。

 ですから、大切なことは、どこまでも、何処までも、私達は神と共に歩むことなのです。

II.心を注いで下さる神に応えて
 そしてヤコブは今日の手紙の最後の所で、私達の心を掛け替えのない、神に向けさせようと致します。

「あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」(ver2-3)。
 
これは明らかに、自分の楽しみの為に求めることは、間違った動機であり、この世の封中に合わせてしまうものなのだということです。

この世は間違いなく、自分の利益最優先です。アメリカのベネゼエラ侵攻然り、イスラエル 
と組んでのアメリカのイランに対する攻撃然り、ロシアのウクライナ侵攻然り、中国の台湾問題然りです。

「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです」(ver4)。

聖書は結局世の友になりたいと願う者は、神の敵になるのだと、聖書は語ります。

 聖書で、「世」という場合、三種類の「世」を語ります。第一に神が創造されたこの世界です。

 第二が、神が独り子イエスをお与えになるほどに愛して下さった、私達一人一人です(ヨハネ3:16)。そして、最後が悪と罪の原理によって、動いているこの現実の世界です。

ですから、「天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す」(詩編19:2)。と語り、

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。

「世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです」(ver4)。と諭したりしているのです。

 何れにしても、この世の原則に従って生きることは、神に敵対することであると聖書は語るのです。大切なことは、神を愛し、神に従い、神を求める、そのような動機によって、全ての物を求めることなのです。

そして、ヤコブは続けます。「それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせ
た霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる。」(ヤコブ4:5-6)。
 
このver5-6の御言葉は、幾つかの解釈が可能です。私達の内に住まわせた霊を御聖霊とるのか、私達の内にある霊ととるのか神が聖霊をねたむほどに愛しておられるととるのか。私達の心の内にある霊を妬むほどにあいしておられるのか。

 何れにしても、私達の心の内に住んでいて下さる、御聖霊と取ったとしても、私達の心の内にある霊と取ったとしても、要は、天の父なる神が、 
私達の心の中に住んでいる、宿っている「霊」を、「いいなあ、羨ましいなあ」と思って下さるかのように、それほどまでに、私達一人一人がもし、
 遜った者であれば、心を向けて下さる。思いを向けて下さる。見つめそして慕っていて下さるという事なのです。

「主は不遜な者を嘲り/へりくだる人に恵みを賜る」(箴言3:34)。

ここにこそ、争いを断つ最終的な秘訣があるのです。この個所の後に、神からこの恵みを受ける秘訣が、ver7-10に、十の命令として出て参りますが、今回の御言葉に限って言うならば、どうすれば、私達が、争いの元を、戦いの元を断つ事が出来るのか。

それは、神が私達の内に住む例を妬むほどに、愛し、私達に心向け、私達に心を注いで下さるのですから、私達もまた、神に向かい、神を見つめ、神の御心をひたすらに、慕い求めることによって、戦い、争いの大本を断つ事が出来るのだ。その事を覚えて参りたいと思います。

 アメリカ南北戦争の時に、北軍の大将であったリンカーンに一人の兵士が聴きました。
 リンカーン閣下、神は我々北軍の味方ですか?それとも南軍の味方ですか? それを聴いて、リンカーンは言ったそうです。神が我々北軍の味方であるか、それとも南軍の味方であるか、そんなことは問題ではない。

問題は、我々北軍が神の味方であるか否か? それが問題である。リンカーンは言ったそうです。

大切なことは、私達が、何処までも、何処までも、神と共に歩むことなのです。



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