2025年04月06日「キリスト教の奥座敷」

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キリスト教の奥座敷

日付
説教
小堀 昇 牧師
聖書
ペトロの手紙一 3章8節~12節

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正しいことのために苦しむ

8終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。 9悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
10「命を愛し、
幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、
唇を閉じて、偽りを語らず、
11悪から遠ざかり、善を行い、
平和を願って、これを追い求めよ。
12主の目は正しい者に注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ペトロの手紙一 3章8節~12節

原稿のアイコンメッセージ

「キリスト教の奥座敷」
旧約聖書:詩編34:12-23
新約聖書:Iペトロ3:8-12            
 I.キリスト教の奥座敷
 召使(奴隷)(2:18)、妻(3:1-6)、夫(ver7)対象を絞った、勧告が続きましたが、再び一般的な勧告に戻ります。

「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」(ver8)。

ここで、大切なことは、「皆」ということです。「あなたがたの内長老は、心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」ではないのです。
「あなた方の内、執事は、心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」でもないのです。あなた方は皆、なのです。あなた方は皆、心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」なのです。
そして今日の御言葉は、「終わりに」(ver8)。という言葉で始まります。これは、「最後に言います」という言葉です。
この書き出しで、ペトロはまず、この世で困難に遭いながら生きるクリスチャンの基本的な姿勢について語り(ver8-9)、それから、裏付けとなる詩編の御言葉を語ります(ver10-12)。
 「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」(ver8)。不当な苦しみを受けながらも生きるクリスチャンの姿勢が5つの形容詞で表現されて行くのです。先ずは、「みな心を一つに」ということです。ヨハネの17章はイエスが弟子達の為に祈られた大祭司の祈りですが、「彼らも一つとなるため
です」(ヨハネ17:11)、「全ての人を一つにして下さい」(17:21)。とイエスが弟子達の為に祈られていますが、逆に言えば、それほど一つとなることは難しいのです。
誰が天国で一番偉いのか、席次争いをしていたような弟子達でした。イエスと3年もご一緒しながらも、イエスの謙遜が分からず、自己主張の強い弟子達でした。ですから、私達が一つになることは、大きなチャレンジであり、神の助けなくしては成り立たないのです。
第二は、「同情し合い」です。理解するという英語は、Uderstandと言いますが、これは、下に立つという意味です。ですから同情をすると言うと、相手より上に立つというような錯覚を覚えます。しかし、これは、苦しみにある人々の心を自分の心として、相手の下に立って、理解することです。
第三に、「兄弟を愛し」です。この世界の一般の人々は、ペトロの手紙によれば敬うべき人々でした(2:17)。しかし兄弟姉妹は、愛すべき人々です。「あなたがたは互いに愛し合いなさい」と言われている通りです。愛は名詞ではなく、愛は動詞であると言われている通りです。

第四に、「憐み深く」です。これは「心優しい人」とも訳せますが、「同情し合い」と同じ意味内容です。
そして、最後に、「謙虚になりなさい」。これは、謙遜とも訳せます。現代世界において、謙 
遜は、美徳の一つです。しかし、当時のギリシャローマ世界においては、謙遜は自己卑下を意味しており、良い意味で使われる事はありませんでした。
しかし、イエスの生き方は、このような当時の世界観に真っ向から挑戦された生き方でした。全能の神であるイエスが、人となってこの地に来て有限な人間となって下さった。弟子達の足を洗い、十字架の死に至るまで従って下さっ
た。これに勝る謙虚=謙遜はありません。ですから、主を見上げることが大切なことなのです。「心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」と言われても、この様な事を、唯外見的に生きるだけならば、キリスト教は、単なる道徳宗教に落ちてしまいます。そして、私達は良い人間になりましょう。で終わってしまうのです。
しかし、私達はそうではない。私達は正に自分の力ではありません。聖霊の力を頂いて、自分の力では決して見ることができない、新しい世界を見させて頂くことができるのです。
正に、キリスト教の入り口から、キリスト教の奥座敷へと進んで行くことができる。そこには、今まで考えたこともなかったような新しい世界が見えてくるのです。
 一般的に奥座敷に通される人は、偉い人です。そうでない人は、精々が客間止まりありましょう。
 では、イエスの目から見て、奥座敷に通されるような偉い人は誰でしょうか。
それは、皆心を一つにする人です。同情し合う人です。そして、兄弟を愛する人です。更には憐れみ深い人です。そして、謙虚な人なのです(ver8)。そのような人こそが、主によって、キリスト教の奥座敷に通らされる人なのです。

そして、正に新しい世界を見させていただける人なのです。どうでしょうか、あなたは、主によって、奥座敷に通して頂けるような人でしょうか。
それとも、単に客間で終わってしまう人でしょうか。願わくはイエスによって、キリスト教の奥座敷に通して頂けるような、そのような人生を送って行こうではありませんか。
II.赦しの世界の広がりと深まり
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって
祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(ver9)。
半沢直樹で、どけ座だ、倍返しだというものが拍手喝采で受け入れられるこの世界にあって、悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いない。しかも、かえって祝福を祈る。イエスが求めておられる世界観の豊かさです。
この世の常識では、悪には悪をもって報いるのでありましょう。侮辱されれば、相手を侮辱し返すのでありましょう。

しかし、聖書はそうではない。逆に祝福しなさいと言うのです。イエスも、 「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)。

「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12:21)。これはパウロの言葉です。そしてイエスが私たちにこの様な生き方を求めるのは、私達が、「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召された」(ver9)。からだというのです。

祝福を受け継ぐとは、終わりの時の救いを受けるという意味です。あなたがたは、救いの中に入れられているのですから、「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい」(ver9)。聖書は語るのです。
悪に悪をもって、報いをすれば、そこは、報復の連鎖です。今のロシアとウクライナ、そして、イスラエルとハマスが正にこれです。相手に報復をする。一時、スかっとする。心が晴れる。溜飲が下がる。しかし、その影で間違いなく、問題は増大していくのです。

そして、結局誰が、苦しむのですか。確かに相手も苦しみます。しかし、それ以上に、あなたが苦しむのです。だってあなたが相手を憎んでいる時も、もしかすると、相手は楽しく遊んでいるかもしれません。
結局相手を恨み続けても、決して問題は解決しないのです。自分の心が荒み、平安が無くな
り、自分自身を不幸にしていくだけのです。
内村鑑三は、日清戦争の時は、植村正久や蛯名弾正と共に聖戦論を唱えていましたが、日露戦争の時は、それを翻し、戦争を否定して、正に 
悪をもって、悪に報いない生き方を強調しました。それによって、彼は周りから叩かれましたが、最後までこの生き方を貫いたときに、全てが御手の中で守られたことを語っています。

「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(ver9)。

私達がこのような心で生きるならば、それによって、私達は神の祝福にあずかることになるのです。十字架のイエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。

私達が赦すときに、私達も又、神から祝福された存在となるのです。そして、ペトロは、その根拠として、ver10-12で、詩編34:12-16を引用します。
「命を愛し、/幸せな日々を過ごしたい人は、/舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、/平和を願って、これを追い求めよ。主の目は正しい者に注がれ、/主の耳
は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」(ver10-12)。
 
ここで言われていることは、三つです。それは第一に、「舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず」(ver10)。他の人の欠点は良く目につきます。本当に私達は、人の目の中にある塵にはよく気が付くのです。

しかし、自分の目の中にある、梁、即ち、まるたん棒には気が付かないのです。また人を悪く言うときには必ず、そこには、必ず背ヒレ尾ヒレ
がつくのです。誇張していくのです。
 
 第二が、「悪から遠ざかり、善を行い」(ver11)、ということです。この詩編を読んだダビデ王は、ある時に、自分の命を付け狙った、サウル王を殺そうと思えば、殺せる場面に遭遇しました。
正に千載一遇のチャンスです。兵舎の中で兵士達と眠り込んでいる、サウルに遭遇するのです。しかも、サウル王の槍が地面に突き刺してあるのです(サムエル記上26:7)。

部下であったアビシャイがいうのです。「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます。」(サムエル記上26:8)。

しかし、ダビデは言います。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるか 
だ」(サムエル記上26:9-10)。正に悪をもって、悪に報いない、それどころか、善を行うダビデ王の姿です。第三番目。「平和を願って、これを追い求めよ」(ver11)。何処までも、平和な関係を保つように、平和な関係を作るように、それを追い求めよというのです。幾多の戦禍を潜り抜け、多くの人々の死に遭遇し、自分も人々をその手にかけ、涙を流してきた。ダビデ王なればこそ、平和が続いて欲しい、そのことを願わずにはおられなかったのでしょう。

平和は何もしなければ、決してそこに在るものではありません。全ての分野において、前向きに構築していく事柄です。追い求めていくべきものなのです。そうでなければ、生み出す事が出来ないのです。

しかし、問題は、赦しの対象が、あなたに対して、悪を行う者に対してなのです。それだけに 
きついのです。しかし、聖書は語ります。「主の目は正しい者に注がれ、/主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」(ver12)。

 主は私達が善を行うのを見ておられます。不当な苦しみに遭遇しながらも、祈る、祈りに耳を傾けて下さいます。それだけではありません。悪事を働く者に、神の御顔は向けられていくのです。

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」(ローマ12:19)。
 
サタンは、悪の連鎖が大好きです。倍返しだ、どけ座は、彼らの栄養分です。しかし、悪の連鎖に巻き込まれてしまったら、事態は決して良くならないのです。
 
主は見ていて下さいます。私達も又、赦しの世界に生きたいと思います。イエスによって、キリスト教の奥座敷に通して頂きたいと思うのです。
 そして、愛の心、赦しの心、憐みの心を与えて下さるように祈るのです。「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい」(ver8-9)。
 
これはどうやったらできるのですか。イエスの愛にこそ目を留めるのです。私を赦して下さった、イエスの愛にこそ目を留めるのです。

どうか、主によって、この赦しの世界の深みを、そして、その広がりを見させていただくものでありたいと思います。
 
あなたの家庭の中で、あなたの職場の中で、悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いることなく、かえって祝福を祈り、祝福を受け継いていく、そのような歩みをしていこうではありませんか。

 あるところに大金持ちの老人がいました。 息子達に財産わけをしてやったが、老人が指輪にして肌身はなさずもっていた宝物の宝石を、誰に
与えるかではたと困ってしまった。「三つに分けることはできないし。そこでだ、おまえたちの中で一番立派な行いをした者に与えることにしよう」
 期限の三ヵ月がくると、息子達は父のもとにきて報告をはじめました。長男「私は宝石屋の信用を得て、宝石の保管の仕事をしていました。このとき宝石の一つや二つごまかしてもわからなかったのです。
だが、そのようなことは一切しませんでした。」、父 「管理人が不足を起こさないのは、あたりまえではないか」。

次男「私は川で溺れている子どもを見つけ、すぐさま飛びこんで助けあげました。」父 「溺れている人を見たら、だれでも飛びこんで助けるだろう」
三男「以前から一方的に恨みをもって、私の命をねらいつづけている人がいます。ある日その人が、酔っぱらったあげく崖から落ちそうにし 
て眠りこんでいました。私は彼をひとけりするか、放置しておいても死の危険にあったのです。
だが私は彼を引きずり起こしてかつぐと、危険な場所から去ったのです。」父 「それだ、おまえこそ最もすばらしい行いをした。敵を助けることなど、だれもができるということではない。わしの宝物はおまえのものじゃ」

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