二つの起承転結
- 日付
- 説教
- 小堀尚美信 徒説教者
- 聖書 マタイによる福音書 1章1節~6節
イエス・キリストの系図
1アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、 3ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、 4アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、 5サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、 6エッサイはダビデ王をもうけた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 1章1節~6節
「二つの起承転結」
ルツ1:20-21、4:13-17、マタイ1:1-6a
今日は、小堀牧師が、大会の国内伝道委員会の働きで、那覇伝道所の問安に行っておりますので、依頼を受けまして、代わりに説教をさせて頂きます。
皆さんもご存知の通り、主人は沖縄が大好きです。そして、時々、説教の中でも、自分が働き過ぎから、燃え尽き症候群になり、回復までの道程で、神様から深いお取り扱いを受けたことを話しています。
「その時、尚美さんは、どうしていたのだろう?」
もしかしたら、そんな風に思われる方々もおられるかもしれません。一人の人に与えられた試練は、その人と共に歩む人に与えられた試練でもあるからです。
今日は、その時に、私を支えてくれたルツ記から、お話したいと思います。
主人が最初に赴任した教会は、私の母教会でした。青少年担当の副牧師で、主の日は、朝7時半の第一礼拝から、夕方6時の第四礼拝まであり、週日は、祈祷会以外にも家庭集会が開かれ、学生達が誰かしら、週に何日かは自宅に来て、一緒に聖書の学びや食事をしているような、忙しくも充実した新婚の生活でした。
一方、当時、那覇の教会は、…と言いましても、今日、主人が説教をしている改革派の那覇教会ではなく、他教派の那覇教会です…3年以上も牧師がおらず、もう閉鎖するしかないのではないか…という状況が続いておりました。
そんな時に、主人にも声がかかりました。しばらくの期間、神様に祈った末、神様からの召命と受け止めて、那覇に遣わされ、壊れた教会の再建に取り掛かりました。
全国の諸教会の支援を受けておりましたので、会堂を取得することもでき、求道者、受洗者も少しずつ与えられて、教会は祝福されていきました。
けれども、あの暑い沖縄で、東京とは、気候も文化も歴史も異なる地で、副牧師をしていた時と同じ忙しさで働き続けて、3年半近くが過ぎた頃、インフルエンザをきっかけに、主人は体調を崩し、それまでの疲労が一気に出て、動けなくなったのです。
3分、人と話すと、冷や汗が出る。講壇にも立てなくなり、説教も、他の先生にお願いしなければならなくなりました。
「小堀先生は、どうなっちゃうの?」と、心配して、私の胸で泣く中学生の頭を撫でながら、私は29歳、息子は幼稚園、娘は1歳でした。
那覇での私達の働きを熱心に支えて下さっていた母教会の先生も、丁度同じ頃、癌で倒れました。週日に治療を受け、静養して、主の日には、講壇に立たれました。
「キリストの福音をもう一度語るから、教会から離れている兄弟姉妹に手紙を出してほしい」と、事務スタッフにお願いして、迷い出た羊に、声をかけ続けておられました。
私の洗礼も、結婚も、主人の牧師としてのスタートも、すべてお世話になり、私達の那覇での宣教の働きを一身に支えて下さっていた母教会の恩師が、天に召されたのが、2月でした。
主人が東京で療養を始めたのが3月、娘の病が分かったのも、同じ頃でした。
「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしを
ひどい目に遭わせたのです。
出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」
これは、ルツ記1:20-21で、ナオミが語った言葉です。
家族の健康が失われ、働きも、住まいも、恩師も失い、自分の身に起こっている事を受け止め切れずにいた時、ルツ記のナオミの、この言葉に、「出会った」のです。
私の思いを、そのまま代弁してくれる言葉が、ここに在る。目から鱗でした。御言葉が、文字通り、「生きて」、私を支えたのです。
生きておられる真実な神を信じていればこその、ナオミの真実な苦しみの吐露が、私を根底から支えたのです。
さて、ルツ記2:2-3を見ますと、こう書かれています。
「モアブの女ルツがナオミに、『畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます。』と言うと、ナオミは、『わたしの娘よ、行っておいで』と言った。ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった。」
そこはたまたま、ボアズの畑であった。
ナオミの嫁、ルツにとっては、確かに、「たまたま」だったのですけれども、実は、それは偶然ではなくて、真実な神の導き、神の摂理の御手だったのだと、ルツ記全体を通して、聖書は、私達に語りかけています。
思い返してみれば、そのような「たまたま」に見える神の導きに支えられ守られて、私達は皆、ここまで歩んで来られたのではないでしょうか。
沖縄で、主人が苦しんでいた時、「もうこれ以上、様子を見守っていてはいけない。今、助けを求めないと、この人も、私達家族も、教会も、大変なことになると、思った瞬間がありました。
国内宣教委員会の下にある働きでしたので、意を決して、委員長に電話をしました。すると、話し中だったのです。そこで、一人の委員の先生にお電話をしました。
すると、すぐに繋がって、その先生は、こう仰ったのです。
「ちょうど今、委員長と話をしていて、電話を切ったところです。」と。
「先日、那覇教会に応援伝道に行って、小堀先生とお話をして、実際に、教会も地域も見て、那覇教会については、短期間で自立させるような、これまでの国内宣教のやり方は変えた方が良いと、委員長に提言していたところでした。」
一本の電話が、命綱となりました。
神様は、生きておられる。全てをご存知なのだと思いました。
「それは、たまたまボアズの畑だった。」
全てのことを働かせて、寸分の狂いもなく、私達を守り抜く、父なる神様の憐れみでした。
さて当時、私たちは、まだ改革派には居りませんでしたが、主人が神戸改革派神学校を出ましたので、お世話になった先生方がおられました。
私の実家に、家族四人で身を寄せて、主人の回復に努めていた時、私は、一通の手紙を書きました。今、私たちが置かれている状況と、その経緯を知って頂き、お祈りして頂きたいと、心から願ったのです。
主人が献身し、神学校を選ぶ時にアドバイスをくださった、かつてインドネシア宣教師でいらした入船先生に宛てて、私は筆を執りました。
まさしく、ルツ記のナオミのように、心の内を吐露したのです。
すると、まもなく、先生からお返事が返ってきました。その中に、今でも忘れられない一文がありました。
「…本当に、大変なことでした。」という温かい共感の言葉と共に、
「負の感情に、決して、飲み込まれてはなりません。」という言葉、不信仰に陥らないように、試練の中で、自分の感情と戦わなければなりませんという内容の助言でした。
最近よく耳にする、「寄り添う」という言葉のイメージとは違うアドバイスでしたが、ハッとさせられる貴重な言葉でした。
雪山の吹雪の中で、遭難しかけている者に、「ここで眠ったらいけない!ここであきらめたら死んでしまう!」と、命を揺り動かそうとしているような言葉でした。
厳しくも聞こえる先生の言葉に躓かなかったのは、おそらく、先生ご自身も深い苦悩を味わい、ご自分と戦い、信仰を守られたご経験をなさったからなのだろうと、理屈ではなく、そう感じられたのでした。
私たちは、何か打ち込めるもの、一生懸命になれる「使命」のようなものが欲しいと思うことがありますが、時として、それは、自分で見つけ出すのではなく、試練の中で与えられることがあるのではないでしょうか。
夫を失ったルツに与えられた使命は、姑のナオミが信じる神を「わたしの神」(ルツ1:16)と信じ、ナオミの住む町で共に暮らし、最後まで世話をして、ナオミを幸せにすることでした。
そして、ナオミに与えられた使命は、故郷であるモアブに帰ることなく、自分を慕ってついて来た誠実な嫁、未亡人となったルツに、なんとしても、良い嫁ぎ先を見つけ、彼女を幸せにすることでした。
姑の世話、未亡人となった嫁の嫁ぎ先。こう言うと、ありふれた事のように聞こえますが、飢饉による移住と夫の死、二人の息子の死という厳しい苦難の中で、それこそ、吹雪の山道を凍えながら、故郷ベツレヘムに辿り着いたナオミとルツにとっては、二人の存在そのものから生れ出た、実存的な使命だったのです。
当時の私にも、二つの実存的な使命が与えられました。一つは、どのような事があっても、二人の子供たちを育て上げる。成人させるのだという使命でした。そして、もう一つは、宣教とは何か。という問いでした。
ある秋の日、息子を幼稚園に送り届けた後、厚い絨毯のような落葉の上を歩いていました。立ち止まって、落葉の重なりを見ながら、私達の人生や働きというものは、この薄っぺらい一枚なのだろうなあ…と思いました。
でも、この一枚が無ければ、この厚みは生まれ得ない。宣教の働きも、こうして、一枚一枚が重なって、成熟してゆくのだろう、と。
それからというもの、私は沖縄での働きを顧み、経験したこと、教えられたこと、こうすれば良かったと思うこと、もしも、こういう助けがあったら有難かったと思うこと等を、ノートに書き出しました。
そして、この先生になら話せるのでは…と思う機会が与えられた時に、小さく分かち合いました。
私達が沖縄を離れた後、短い無牧の期間の後に、次の先生ご夫妻が遣わされた時、私は、神様から与った一つの使命を果たせたと思いました。
そして、息子の就職が決まった時、又、娘が成人した時、私は「終わった」と、深い溜息をつきました。
ルツがボアズと再婚し、子どもが生まれた。その子を「オベド」と名付け、ナオミがその胸に抱いた(ルツ4:16-17)。これも又、よくある日常の風景の一つだと言えるかも知れません。
ナオミの嘆きで始まったルツ記が、神様の摂理の御手で導かれ、ボアズに出会い、ナオミとルツが、それぞれに与えられた使命を果たして、お互いを幸せにしていく。ここに、一つの起承転結が描かれています。
けれども、それで終わりではないのです。
ルツ記の最後に、二度にわたって、系図が書かれています。
ルツが産んだ「オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。」(ルツ4:17)
「…サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた。」(ルツ4:21-22)
そして、新約聖書の第1ページ、マタイによる福音書1章にも、このように書かれています。
「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」(マタイ1:1)で始まり、5節に来ると、
「ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。」
そして、このダビデ王の子孫から、約束の救い主、私達の主イエス・キリストが、お生まれになったのです。
私達の主イエス・キリストの系図の中に、ルツが、そしてその背後に、ナオミがいるのです。
ナオミとルツの人生の中に、起承転結があるだけではなく、神様の長くて大きな救いの御計画の起承転結の中に、二人の人生そのものが置かれているのです。
苦しみも悲しみも、出会いも喜びも、ナオミとルツの人生のすべてを、神様は丸ごと抱きしめて下さいます。
「もしも、この一つのピースが欠けたら、このパズルは決して完成しない。」
というのと同じように、神様は、私達一人一人の人生そのものを、救いの御計画の完成に向けて、無くてはならないものとして、尊く用いてくださるのです。
お祈り致します。
恵み深い、私達の父なる神様、試練に会う時には、ルツ記のナオミと、共に嘆き、「私の人生のストーリーも、まだ途中なのだ」と、希望を抱くことができますように。
年を重ね、あるいは試練の中で、もう何も良い事は残っていないと思う時、私達の人生を丸ごと抱きしめて支え、尊く用いてくださる主を仰ぐことができますように。
私達の主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
