2024年09月22日「死よお前の勝利は何処にあるのか」

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死よお前の勝利は何処にあるのか

日付
説教
小堀 昇 牧師
聖書
マタイによる福音書 27章57節~66節

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聖句のアイコン聖書の言葉

墓に葬られる
57夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。 58この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。 59ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、 60岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。 61マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
番兵、墓を見張る
62明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、 63こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。 64ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」 65ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」 66そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 27章57節~66節

原稿のアイコンメッセージ

「死よお前の勝利は何処にあるのか」
イザヤ書53:9
マタイ27:47-66
I.キリストにあって一つ
 さて、私達が毎週告白しています、使徒信条には、「死にて葬られ」という言葉が出てまいります。
 死んだら、葬られるというのは、当たり前のことです。しかし、このイエスが葬られた。ここにこそ、神の深い御計画と御業があるのです。パウロも、

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」(Iコリント15:3-5)。

 「葬られたこと」が、「最も大切なこととして」伝えられているのです。そして、これは、教会がキリストから受けたものでした。
イエスはベタニヤ村のマリアの油注ぎを喜ばれて言われました。「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。
はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マタイ26:12-13)。

 これから私達は、イエスの甦りについて御言葉に聴いてまいりますが、それと同じぐらいに大切なことは、イエスが葬られたという事です。
当たり前ですが、イエスの復活が、大切なことであることには、疑問の余地がありません。

 しかし、イエスの福音が語り伝えられていく所では、共に、必ず語られて行く、主の葬り。今日はその意味について、御言葉に聞いて参りたいと思います。

エルサレムの住民の中には、イエスが十字架に付けられる様子を見ようと、ゴルゴダ迄やってきた人々が沢山いました。その中には、イエスの宣教の初期、ガリラヤからずっとイエスに従っていた女性たちがいました。
「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた」(ver55-56)。
 弟子達は、蜘蛛の子を散らすように、逃げていきました。しかし、女性の弟子達は違いました。
 「遠くから見守っていた」これは、十字架からかなり離れていたところから見守っていた。という事を示唆しています。
 「見守っていた」とは、「観察していた」という意味です。ここで、わざわざ、「大勢の婦人たちが」と断っているのは、本来こういう場に女性がいるのは、当時のユダヤでは相応しくなかったということを表しています。
しかも、「見守っていた」この「いた」というのは、未完了形ですから、動くことなく、そこにじっと佇んでいたことを意味しているのです。
 「ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である」(ver55)。
 
辺境の地、ガリラヤから、ずっと、イエスの世話をし続けてきた、しかも、「従って」というのは、人生のある時点において、決断をして、イエスの弟子となった。そして、生涯ここまで、イエスの十字架に至るまで従い続けてきた。そのことを意味しているのです。
 
12弟子達は、イエスを見捨てて逃げてしまいました。散ってしまいました。しかし、彼女たちは、最後の最後まで、イエスに従い続けていたのです。
 
「マグダラのマリア」ガリラヤ湖の近くのマグダラという町の出身のマリアという意味ですが、イエスによって、7つの悪霊を追い出してもらった女性でした(ルカ8:2)。

 彼女は、マルコもヨハネでも先頭に名前が出て来るので、特別な地位を占めていた人でした。

「ヤコブとヨセフの母マリア」、とは、即ちイエスの母マリアとは姉妹関係でした(ヨハネ19:25)。
 
 「ゼベダイの子らの母がいた」(ver55-56)。イエスの12弟子のヤコブや、ヨハネのお母さんです。彼女もずっと、そこに佇んでいたのです。
 
お分かりでしょうか。イエスの十字架の場面、そして、これからの復活の場面において、この女性たちは、非常に重要なポジションを占めているのです。

イエスの時代には、女性がラビの弟子になるなんて、考えられませんでした。女性は、数にも入れられず、神殿においても差別され、宗教的には実に低い地位でしかありませんでした。

しかし、マタイは、イエスの十字架を最後まで見守ったのは、弟子達ではなくて、女性達だと言っているのです。
この事は、神が、そして、イエスが女性をどれだけ、高く評価しているのかが分かると思います。

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」(エフェソ2:14)。

そして、これこそが、イエスの十字架が齎す真の解放なのです。イエスにあって、ユダや人もギリシャ人もなく、奴隷も、自由な身分の人もなく、男性も女性もないのです。

敵意という隔ての壁すらも取り払われてしまったのです。私達は、キリストにあって、一つなのです。

私が就職活動をしていた1980年代、女性が総合職つくなってことは考えられませんでした。

そこにはまだ、賃金の差別もありました。私が中高生の頃は、女性の採用ページに、容姿端麗なんて文字が躍っていたそうです。

今、「虎に翼」が大ヒットしていますが、矢張り、その根底には、この今の時代、2024年になっても、人々の心の中に根付いている、男女の格差。
それに、若い世代の女性たちが、敏感に反応しているから、初の女性弁護士、裁判官となった、虎ちゃんへのシンファシーがあるのだ。それが大ヒットの要因だと言われています。

キリストにあって、一つ。男も女もありません。主は最初から、男性を愛し、そして女性を愛しておられるのです。そのことを覚えて参りたいと思います。
II.墓に向かって座っていた
 さて、イエスは十字架で死なれました。
当時の慣習では、犯罪者の体は、そのまま野ざ
らしにされるか、共同墓地に葬られるのか。何方かでした。しかし、サンヘドリン議員のアリマタヤのヨセフがその遺体を引き取り、自分のために用意した墓にイエスを葬りました(ver57-61)。
夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフがイエスの遺体の葬りを願い出て来ています(ver57-58)。

 それは、その日の夕暮れまでにイエスの遺体を引き取らなければ、安息日に入ってしまうからです。
そうなるとイエスの死体を引き取ることができなくなってしまいます。そこで、アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取り、自分の為に、買ってあった墓にイエスを葬ったのです。
 亜麻布に、包んで香料を塗って、遺体を葬るのは、当時の手順にあったことでした。イエスは、この手順に従って、丁重に葬られました。

「岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」(ver60-61)。
 ここで、大切なことは、復活後の無用な混乱を避けるために、新しい墓でなければならないという事です。
「納 め」というのは、「遺体を置いた」という言葉です。イエスの遺体をそのまま置けるのですから、かなり大きな2m位はあろうかという大きな岩をくりぬいた、お墓です。
 
更にそこに、石が転がされました。これだけのお墓を封印する石ですから、大きな石です。大きな岩です。当然誰か他の人を葬るときに、治め直すときにしか、動かす事が出来ないような大石で、中から動かすことは不可能でした。

しかし、「マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」(ver60-61)。ここに、またまた女性が出てきます。マグダラのマリアともう一人のマリアです。
 
彼女達は、弟子達が逃げて行ってしまった中で、イエスの死体が、ちゃんと葬られるのか。イエスの死の証人になっていたのです。
最後までイエスの死を見届けたのです。男の弟子達が逃げて行ってしまった中で、彼女たちは、最後までイエスの証人となったのです。

 そして、これこそが、彼女たちの信仰の素晴らしさです。彼女たちは、最後まで見届けようとしたからこそ、今度は、弟子達に先んじて、復活の主の証人となったのです。

 イエスは、アリマタヤのヨセフのまだだれも使ったことがない、綺麗なお墓に葬られました。そして、そこには、大きな石が立てかけられました。これはイエスが確かに死なれたことが明確に語っています。

そして、墓に向かって座っていた女たちはまたイエスの死の証人でもあったのです。

「彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた」(イザヤ書53:9)。
  本来であれば、犯罪人は精々が、共同墓地に葬られるか、下手をすれば、穴に投げ込まれて終わりです。
しかし、イエスは、ユダヤの当時の手順に従って、丁重に扱われ、アリマタヤのヨセフの大きな墓に納められ、石が立てかけられ、女性たちが墓に向かって座っていた。

他の弟子達が逃げ出してしまう中で、この女性たちがイエスの死の証人と先ずなって行った。イエスのこの確かな死こそが、イエスの栄光の甦りの序章であったという事なのです。

 イエスが確かに死なれた。だからこそ、次の復活という、とんでもない出来事がやってくるのです。 この封印された墓。これこそが、イエスの確かな、死の証であると共に、復活の序章であることを覚えたいと思います。
III.封印された墓石
 しかし、 「 明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、 こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました」(ver62-63)。

 こう言って、弟子達が来て死体を盗み出し、イエスが甦られたといいふらすことがないように、墓石に封印をして、番兵を置いたのです(ver64-66)。

 イエスの葬られたお墓は、岩を掘って造った墓です。封印された入り口以外には、誰も入ることも出ることもできないのです。
 その上このお墓は、新しいお墓です。ルカによれば、誰も葬ったことがないお墓です。
 死体の一個や二個盗まれても分からないような共同墓地ではありません。
 ましてや封印された墓石を取り除けて兵の目を盗んで、弟子達が、女達がイエスの死体を盗むという話には無理がありすぎます。
 
しかし、サンヘドリンは、それでも落ち着かなかった。何かが起こるのではないかという恐れがあった。

いやもしかすると、本当にイエスは甦るかもしれない。この封印された墓ですらもイエスを永遠に封じ込めることはできない。

 そのような思いがサンヘドリンには満ちていたのです。だから、わざわざ墓に封印をし、番兵をつけ、更には甦ったら、兵隊達にお金をやって、夜中に弟子達がきて盗んだとまで言わせているのです。このお墓にはそこまでの恐れが満ちていたのです。逆にイエスを信じる者には、そのような希望と期待感が満ちていたのです。

 いったいこんなお墓が世界にあるでしょうか。 「彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた」(マルコ16:3)。

 全ての人が閉じ込められたら、もうそれでおしまい。二度と出ることができない、墓石を一体だれが取り除けてくれるのでしょうか。

 誰が私達のために墓を開いてくれるのでしょうか。しかし、私達は、この封印された墓石に於いて知っているのです。

 イエスの葬りにおいてだけは、墓石が人生の終着駅ではないことを知っているのです。
 
死と葬りの後に、墓石の中に何かがある。何かが動いている。墓石の中にですらも、命がある。そういう希望がイエスの葬りには、そして、封印された墓石には、約束されているのです。
 
 私達が絶望してしまう、お墓の中にこそ命がある。お墓それすらも人生の終着駅にはなりえない。
 イエスが葬られ、封印された墓石には、そのような命の希望があるのです。
 
「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(Iコリント15:55)。

 この勝利の歌が口をついて出て来る。復活の命。それは、イエスの内にこそ、あるのです。
 絶望としか思えない、墓石にすらも命が宿る。この復活の命に、その希望に、安らいでいく。そのような歩みをしていこうではありませんか。

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